今年の出水法要は5月22日から8月18日までです

街道再発見より(平成20年6月25日付)
塚崎・唐津往還を歩く会事務局長 馬場良平氏
「水堂さん」の名で知られる水堂安福寺は、白石町の杵島山中腹にあります。1895(明治28)年に鉄道が開通し、北方駅が誕生すると「水堂さん」への参詣客は、北方駅を起点として歩いて往復したといわれています。北方駅を利用した「水堂さん」への参詣道の1つの証として、「道しるべ」が挙げられます。  北方町の追分から鳴瀬・塩田経由の旧長崎街道の新橋で六角川を渡って左折し、芦原の堂ノ元交差点に向かいます。ここには「向白石水堂道」と刻んだ道しるべが立ち、しばらく東へ進んだ蔵堂では、道路拡幅で往還から姿を消した「水堂道」と刻まれた道しるべが民家で見られます。  蔵堂から南下して、白石町喜佐木(きさき)から馬洗(もうらい)へと続く道は、圃場整備により取り換えられていますが、所々に昔の面影を残す一間幅の道が残っています。馬洗の法泉寺参道の妻山神社への追分には「向水堂近道」と刻まれた道しるべがあります。  この場所には戦前までまんじゅう屋があり、水堂さん参詣の人々が一息入れた茶屋でもあったようです。また、近くの民家の庭先には「すこ水堂 北方武雄 道」と指先で方向を示した道しるべが保存されています。これらの道しるべは、いずれも伊万里出身の実業家・松尾良吉氏が社会奉仕として建設した「道しるべ」の一つです。  馬洗地区には法泉寺や妻山城跡、須古鍋島家の崇敬を受けた妻山神社などみるべき史跡、文化財があります。馬洗から自然石の道しるべが立つ船野、嘉瀬川を経て、山肌に築かれた石段を登ると、観音堂・霊水堂がある「水堂さん」へたどりつきます。  「水堂さん」の出水法要は旧暦4月15日から90日間にわたり行われ、近郷近在から多くの参詣客が訪れています。「水堂さん」の境内からは白石平野が一望でき、眼下には杵島城跡、須古城跡、小島城跡と連なる眺めは、龍造寺隆信時代の戦国城館に思い巡らす風景でもあります
厳冬期の生き物学ぶ(平成20年1月29日付)
佐賀自然史研究会 白石町で観察会

学校の生物担当教員や愛好家らでつくる佐賀自然史研究会は1月27日、白石町の杵島山などで自然観察会を開いた。子供から大人まで約30人が参加。「厳冬期の生き物たち」をテーマに、カスミサンショウウオの生態や植物などを学んだ。  杵島山中腹にある水堂安福寺ではカスミサンショウウオを観察。体色や生態、水中になる卵のうの特徴などを確かめた後、同町の有明西小で顕微鏡などを使って詳しく調べた。また、同行程に生える植物の名前の由来なども説明した。  子供たちは生き物や雑草を実際に触りながら、興味を覚えていた。同研修会の冬季の観察会は初めて。鹿島市の有明海沿岸でカモ類などの野鳥観察会も実施した。


有明抄より

白石町須古の「水堂さん」(安福寺)はお盆を目前ににぎわいを増す。初盆を迎える家族らが仏前に供える霊水を求めてやってくるからだ。ここは白石平野を見下ろす杵島山の中腹にあるわき水が管から流れ出ている小さなお堂は本堂に隣接する。イチョウやクスなどの大木がつくる木陰に、入れ物を手にした順番待ちの列ができる。容器は昔は一升瓶、今は軽くて割れないペットボトルだ平安時代、病気に苦しむ高倉天皇の夢の中に観 音様が現れる。安福寺の霊水をというお告げに、それを取り寄せて飲んだら治ったという由来がある。参拝者は新仏や先祖の供養に霊水を受けるほか、霊水は腐ることがないと重宝がられている出水が始まる5月は鹿島地区、7月盆の前は佐世保、有田地区、8月盆の前は白石平野一帯と参拝者に流れがあるのも往時のにぎわいぶりを伝えている。今は茶やコーヒーに最適とミネラルウォーターとしての人気がある霊水信仰は水不足に苦 しむ地方にみられるという説がある。白石平野は有明海が干陸化してできた。水道が普及するまでは飲み水は地下水に頼り、井戸でくみ上げた。日照りが続くと井戸の水は枯れたり、塩辛くなったりした混じり気のない真水に飢えた住民は山のわき水を敬い、霊的なものを感じたというのだ。水は生命の源という切実な思いが込められている。お堂の壁からちょろちょろと流れ出てくる出水はその思いを象徴しているようだ。それにしても今は水をぜいたくに使い過ぎている。


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