今年の出水法要は5月22日から8月18日までです

水堂開山

霊水略縁記によりますと、「奈良時代の聖武天皇の頃(西暦725年)に、ある日のこと、一匹の白鹿を見つけ、射止めたところ、鹿は金色の光りを放って消え失せました。猟師は不思議なこともあるものだと思いながら、その姿を消した跡を探しますと、不思議は更に不思議を生んだのであります。今猟師が放った矢は見事石の観音様に突き立っていたのです。『ああ、殺生の恐ろしさ』とばかり、この様子を見た猟師は今までの行いを悔い改め、名を法弓と改め、そこに安福寺を建立して、それ以来強い念仏三昧の行者となって、ここに水堂開山の前提を作ったのであります。


高倉天皇との縁

その後平安時代(西暦1170年)高倉天皇が御病気を召されたとき、ある夜のこと、『九州肥前の国日輪山中に霊水あり、それを服すれば病もたちまち平癒あらさんか』と夢の中で観音様のお告げがありました。さっそく、この頃杵島の領主小松内大臣平重盛公に命じられたのです。重盛公は直ちに人を遣わし、その霊水を高倉天皇に献じたところ、不思議にも御病気が御平癒されたので大変感心になったそうです。


最盛期

そこで、天皇の命令で、水堂安福寺に七堂伽藍(七つの大きいお堂)六十六坊(六十六のお堂)を日輪山の中腹から麓に建立され、ここに水堂安福寺の霊場は完備したのです。


戦乱の災い

天正2年(西暦1574年)正月須古合戦の最後に、竜造寺隆信は平井経治の行方を探す為、やむなくこの由緒ある建物の大部分を焼き払ったのであります。


復興そして現在

しかし信者はその後も依然として年々増加するのみで、宝永4年(西暦1707年)には鍋島茂明の力添えによって、本堂その他が再建されたのであります。以後これを修築してきたのですが、昭和二十六年九月に火災により安福寺本堂庫裡を消失しましたが、檀信徒並びに有志の御協力によって完成を致しました。水堂に詣でる人々は塔婆を供え、或いは回向を頼まれ、新しい仏ばかりでなく、ご先祖の供養をし、水まつりをして、霊水を受けてかえられるのであります。

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