
石垣で囲まれた土壇に立つ全高2.3mの宝塔。
円形の塔身の四方に金剛界の梵字(東-阿シュク如来、西-阿弥陀如来、南-宝生如来、
北-不空成就如来)を記し、基壇には「元応元年(1319)7月吉日」の銘があります。安政3年(1856)に描かれた「杵島郡須古郷図」には、この宝塔が「平重盛石碑」と記されています。
この宝塔がいつ頃から「重盛の塔」と呼ばれるようになったのかは不明ですが、同じ安政3年の『水堂霊水略縁起』に記載されているように、「霊水」と関係の深い平重盛(平清盛の長男)に対する敬慕の念や平重盛が水堂安福寺の「中興開基」と伝えられていることと関係が深いといわれています。
町内には他を見ない鎌倉時代の石造物の傑作であり、水堂安福寺の歴史を物語る遺物の一つです。